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製造業の家に生まれて <ルーツ編>

はじめまして。マサキマンこと 石田正記(いしだまさき)です。

私はスリッパ屋さんの製造業の家庭に生まれ、小さいころから学校から帰ると工場に戻り、スタッフのおばちゃんたちとお話したり、スリッパの糊を拭く手伝いをしたりしながら、仕事場=家庭と一体になった幼少期を過ごしてきました。

大企業での勤務経験もありませんが、日本の企業の大多数を占める中小企業は、このような環境の人が多いと思います。

土日もなし。家族げんかをしてても、TELが鳴れば「ハイ!ありがとうございます♪」とコロッと商売モードに転換。

うちの祖父は地元の大手スーパー「丸久」創業者の一人で、9名で創業したそうです。
その頃は紳士靴の仕入れ販売を行っていましたが、規模が大きくなる丸久の増資に追いつかずに、徐々に自分の道を歩んで言ったそうです。

紳士靴を仕入れていて、困ったことは、

・種類が多い
・サイズが多い
・流行がある

といった所だったと思います。時とともに陳腐化してしまう製品。

そこで考えたおじいちゃん。

「自分でメーカーになろう」
「左右の無い、スリッパを作ろう」

うちの会社は本州の西端に位置する山口県。
戦後の復興期、まだその頃は西日本にはスリッパメーカーが存在せず、まさに空白地帯。
一方、東日本では浅草を中心に、靴の技術を生かして生産されるスリッパ生産が行われていました。

そこでおじいちゃんは、遠く浅草へ通い、時には靴の製造に使う機械を機械メーカーに特殊オーダーして、なんと

「靴と同じ製法で作る、高耐久のスリッパ」
の生産にこぎつけました。

私が生まれたころは、すでに「フラワースリッパ」という社名で、西日本および九州の病院にかなりシェアを保有しており、西日本では一番のスリッパ供給を行っていました。

大学生の頃、佐賀の病院にフラッと入ると、うちのスリッパがおいてあり、とてもうれしかったのを覚えています。

そんな環境で生まれ育ちましたが、僕が年を重ねていくに連れ、スリッパメーカーとしてだけでは成り立たなくなってきました。

つづく

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