■成長期と衰退期
靴の仕入れ販売から業態転換し、スリッパメーカーとして立ち上げた会社は、高度成長期の病院設立ラッシュと連動して売り上げは伸びていきました。
もちろん、祖父の営業もとても上手だったのですが、それはまた追々書いてみたいと思っています。
スリッパは主に、個人病院さんや小中学校向けの事務用としての卸販売を行っていました。
靴と同じ製法で、八方ミシンを駆使して中底と芯底を縫い合わせる製法が売りの、丈夫なスリッパでしたが、時代が変わって、射出整形(インジェクション)製法の安価なスリッパが登場し、だんだんと市場を奪われていきました。
■自動車メーカーが来た!
そんな中、地元・防府市に大手自動車メーカーの大規模生産工場が誘致され、自動車メーカーと共に一時下請け会社さんも工場を建てることになり、地元の防府市で縫製が可能な会社ということでお声がけを頂きました。
一概に縫製とはいっても、用途用途でミシンはかなりの種類が存在します。
縫うものの厚みでいくと薄物用ミシン、厚物縫いミシンがあるのですが、厚物縫いミシンになれているということで、幸いにもお仕事を頂けるようになりました。
これが私が中学校の頃です。
自動車シート表皮の部分縫いのお仕事ですが、実はこれより前にも、ブラジャーの部分縫いの仕事を下請けとして頂いていました。
ずっと一貫して、「縫製」という仕事をしてきました。
縫製の工賃仕事というのは、一枚縫って「銭(せん)」単位の単価です。円の100分の1になります。
私が工場に入ったころも、この仕事をお請けしていましたが、1時間ほぼノンストップで縫って、売り上げは500円前後。
熟練した工員さんは、もうマシンガンのように「ズダダダダダ」という打音を響かせて縫いまくります。僕の倍以上のスピードです。
夏の暑いとき、冬の寒いときでは、遅い分会社に迷惑をかけたくないので、エアコンも止めて縫っていったのが懐かしいです。
ヒット車種が出たときは、その分一気にお仕事も増え、大変ありがたいのですが、やはり自動車の仕事は波があり、あるときを境に仕事が急に無くなるということも、当然ながらありました。
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